無農薬、無肥料のリンゴ栽培に挑戦

ガイアの夜明け(テレビ番組)で木村秋則氏が無農薬、無肥料でリンゴの栽培に挑戦し、成功に至るまでの壮絶な戦いの放映がありました。一般に有機栽培した農産物は美味しく、健康にいいと言われています。しかし、ほとんどの農産物は栽培の生産性、効率性を高めるため、農薬や機械を使用しています。

木村氏が無農薬、無肥料で栽培したリンゴは美味しいことは言うまでもなく、 6ヶ月間放置しておいても腐らず、まだ香りがあるとのことです。リンゴの木に自然に逆らう作用を加えなければ、本来持っている生命力を保持するのです。

同じように、子供の頃に持っていた飽きないほどの好奇心は大人の誤った過剰な介在が薄れさせているのでしょうか。人の育成でも、相手を尊重したコミュニケーションや仕事への指示などから、自主性を引き出すことをすれば、本来持っている才能を発揮すると思います。

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「絶対不可能」と言われた

農家の木村秋則氏は、「絶対不可能」と言われたリンゴの無肥料、無農薬栽培を成功させた。 数十年前、家族が農薬に弱い体質のため、無農薬どころか無肥料のリンゴ栽培に切り替えた。当初は、年13回の農薬散布を減らし、3年目には1回の散布でも何とかリンゴが実り、「なんだ、簡単だ。」と有頂天になった。ところが農薬を断つと、リンゴ園は害虫病のパラダイスになり、6月に葉が落ち9月に来年の花が咲くという異常な状況になった。

それから思いもよらない壮絶な闘いが始まった。害虫病対策に、人間が食べて効果のある酢、しょうゆ、塩、みそ、ネギ、ニンニク、ニラ、コショウ、辛子などを思いつき、時期や希釈倍率を変えて散布した。 しかし、考えつくいろいろな試みをしても、リンゴの木は徐々に弱るだけで、ついに秋には一つとしてリンゴが実らなくなった。

収入はとだえ、毎日の食費にも事を欠くようになった。畑に生えている草などを採っておかずにし、コメは親戚からなんとかをわけってもらった。そうするうちに、子供の学校の学費代をも払えない状況になった。村人からはキチガイ扱いされ、村八分の状態になっていた。

木村氏はその状況なかで、もがき苦しみ、最後には自分自身の存在を否定するようになった。 解決の糸口すらみつからず、自分の存在をなくせば…と頭の中によぎり、真夜中に岩木山の山中に入り決行しようとした。そのとき、ふと目に止まったのがリンゴの木であった。それは幻想からか栗の木がリンゴの木に見えていた。その栗の木には実がたくさんなり、葉っぱは青々と生い茂っていた。

ここでは農薬をまいているわけではない。また、足下には雑草が群がっていた。 足下はふわふわして枯葉が堆積していた。「そうだ、この土と同じようにすればいいのだ。」と、ひらめいた。夢中になってその土をかき集めた。悲愴な思いは吹き飛び、意気揚々と下山した。

後で気付くが、今までは農薬の代わりを考えていただけで場当たり的な物質探しに懸命になっていただけだった。そうではなく虫や病気はむしろ結果であり、リンゴの木が弱っていたから発生したのではないか。自然が見せてくれた答えは、リンゴの地上部ではなく土の中の見えない世界にあった。

草深い山の柔らかい土の中で、根は伸びやかに張っていた。「この土を作ればいい。」リンゴが喜ぶ環境、それは本来の自然を取り戻してやることだった。

1991年の秋に青森県を台風が直撃して、リンゴ農家が壊滅的な被害を受けたことがある。大半のリンゴが落下しただけでなく、リンゴの木そのものが風で倒れるという被害まで被った。 ところが、木村氏の畑の被害はきわめて軽かった。

他の畑からリンゴの木が吹き飛ばされて来たほど強い風を受けたのに、8割以上のリンゴの果実が枝に残っていたのだ。 リンゴの木は揺るぎもしなかった。

根が普通のリンゴの木の何倍も長く密に張っていたというだけでなく、リンゴは実と枝をつなぐ軸が他のものよりずっと太くて丈夫に育っていたのだ。 農薬を散布していないのに、なぜそういうことが起きるのか。おそらく最大の理由は、畑に余分な栄養分が存在していないからだろうと木村氏は言う。

観察と想像が不可能を超えた

この栽培を続けてきて、木村氏が発見したことがある。 それは肥料というものは、それが化学肥料であれ有機肥料であれ、リンゴの木に余分な栄養を与え、害虫を集めるひとつの原因になるというのだ。

肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなるけれど、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られるために、地中に深く根を張り巡らせなくてもいいということになる。

運動もロクにしないのに、食べ物ばかり豊富に与えられる子供のようなものだ。 現代の子供たちに、免疫系の疾患が増えていることは周知のことだが、肥料を与えすぎたリンゴの木にも似たことが起きるのではないか。その結果、自然の抵抗力を失い、農薬なしには、害虫や病気に勝つことが出来なくなるのではないかと木村氏は言う。

他の畑のリンゴの木の根の長さは、せいぜい数メートルというところだ。けれど畑に雑草を生やし、肥料を与えていない木村の畑のリンゴの木は、調べてみると20メートル以上も根を伸ばしていた。地上の枝や葉を見ればさほどの違いはないが、地下の根を見れば、まるで別の生き物である。

そのことと、病気や害虫が蔓延しなくなったことには間違いなく関係がある。 もっとも、ただ肥料を与えなければ、そうなるというわけではない。 そんなに簡単なことですむなら、木村があれほどの苦労をすることもなかった。

一つだけ言えるのは、こうすればああなるという、一対一の因果関係ではないということだ。 肥料は化学肥料も、有機肥料も与えない。リンゴの根を傷める原因となる農業機械は一切畑に入れない。畑に雑草を生やして、土を自然の状態に近づける。土壌に窒素が不足していれば、大豆を播く。秋には一回だけ、草刈りをする。病気の発生の兆候を見極めて、頻繁に酢を散布する。

理由を探すなら、木村氏が今までやってきたことすべてが理由ということになる。その結果として、リンゴの木は普通では考えられないくらい丈夫になった。そして、農薬や肥料の助けがなくてもリンゴが実るようになったということなのだろう。 農薬や肥料のかわりに、木村は自分の目と手を使い、生態系という自然の摂理を生かして、リンゴを育てていると言ってもいいかもしれない。 そして、リンゴの木はとびきり美味しい実をつけるようになった。

木村氏のリンゴがなぜそんなに美味しいのか。

そのことにはたぶん、合理的な説明がつけられる。ワインの善し悪しを語るときに欠かせないテロワール(ワインの味わいに影響する土壌、地質、地層、立地条件)という言葉がある。ブドウの育つ土地の地質学的性格が、ワインの味や香りに深い影響を与える。

このテロワールということで言うと、肥えた畑よりむしろ痩せた土地に育ったブドウが極上のワインになることが少なくない。

乏しい養分を求めて、ブドウの根は地中深くまで張り巡らされる。その結果として、ブドウは土壌中の様々な微量の元素を取り込み、香りや味がより複雑で奥行きのあるものになるというわけだ。

これは人を育てるときも同じことである。問題に出くわしたとき、細かいことを丁寧に教えない。自分で考え抜いて解決を見つけだすような指導をする。そのようなプロセスを経てその人が成長する。

また、指導的立場の人自身が会社理念に基づいた目標をやり遂げることに使命感を持つ。そして部下がその目標を目指して頑張っているのを応援し、成し遂げたときには、心からの賞賛を送ることが大切なことである。

参考文献:「奇跡のリンゴ] 著者 石川拓治  幻冬舎

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