すごいアイデアを生み出すカギは
         「コラボレーション」にあった

本来、画期的なアイデアというものは、一人の天才の直感的なひらめきによって生み出されるものだと考えられていました。しかし、実際にはむしろ、元となるアイデアに他の人の意見を取り入れ、組み合わせ、磨き上げてこそ優れたアイデアに成長することがわかってきました。

発明王として名高いトーマス・エジソンを例に挙げると、彼が最初に作った電球用ソケットは、木片に穴を開けて、両側から導線を通しただけのものでした。この発明をより素晴らしい形へと導いたのが、エジソンが缶蓋を回して開けるのを見た研究員で、「そうだ、これを応用すればいい」という思いつきが、ねじ込み式のソケットを生んだのです。

企業革新を行う場合も、活発な意見交換はとても重要です。多様な考えを持つ人々が集まり、お互いの違いを認め合いながら、対等な立場で議論できれば効果的でしょう。また、その場で話し合った内容は誰でも閲覧・投稿ができるように、情報共有の仕組みを整えておくことも大切です。

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「孤高の天才」という神話は本当?

一人の天才の神秘的なひらめきが、世界を一変させる。大いなる発明や発見について考えるとき、私たちはそんなイメージを抱きがちです。けれども多くの場合、画期的な革新を生むのは個人の才能ではなく、集団から生まれる天才的な発想「グループ・ジーニアス」なのです。

歴史を振り返れば、フロイトは精神分析学の創始者とされていますが、その数々のアイデアは同僚たちの幅広いネットワークから生まれたものでした。モネやルノワールで有名なフランス印象派の理論も、パリの画家たちの深い結びつきから確立されたものです。また、近代物理学におけるアインシュタインの偉業も、多くの研究所や学者チームによる国際的なコラボレーションが母体となっていました。

このように、様々な分野におけるイノベーションの多くが「グループ・ジーニアス」に支えられており、世界で初めて飛行機による有人動力飛行に成功したライト兄弟の場合も、例外ではなかったのです。

試行錯誤を繰り返して

ライト兄弟はオハイオ州デイトンで生まれ育ち、自転車店を営んでいました。その傍ら、鳥の飛翔やグライダーの設計に関する資料を詳細に研究した二人は、1900年初めてキティホークを訪れ、グライダーによる飛行を繰り返しました。

翌年、2度目の実験旅行では、いずれモーターを搭載して離陸するには、揚力が足りないことが判明しました。デイトンに戻ると、兄弟は180センチの風洞を作り、ガソリンエンジンを使った強力な送風機で風を送り込んで、200種類もの翼で実験を繰り返しました。

1902年の3度目の旅では、グライダーの飛行実験は良好で、毎日50回以上の飛行を行いました。しかし、二人はここで「逆偏揺れ」という難問に突き当たります。これは、旋回のために機体を傾けると、逆方向に機首を振ろうとする現象で、機体が制御不能になり、急激に傾いて片翼から地面に突っ込んでしまうのでした。

安全に飛行するためには、この問題を解決する必要があります。そこでまず、垂直尾翼を取りつけました。多少の改善はありましたが、まだ墜落は続きます。ある日、弟のオービルが新たなアイデアを思いつきました。垂直尾翼を操縦席から左右に動かせるようにしてはどうだろう。これを聞いた兄のウィルバーは、それなら尾翼を動かすケーブルを、主翼をたわませる装置に組み込めば、主翼も尾翼も動かすことができると応じました。

この共同のアイデアがパズルを解く最後のピースとなり、二人は機体を自由に制御できるようになりました。動力を搭載した飛行機を、安定して飛行させる準備がようやく整ったのです。1903年、二人はガソリンエンジンを設計・製作すると、機体を大型化し、補助尾翼も取りつけて、操縦の安定を図りました。キティホークに到着した二人は小さな不具合の調整を続け、ついに運命の日を迎えます。

12月17日、寒風吹きすさぶ海岸で、地元沿岸警備隊の男たちが見守るなか、オービルは自作飛行機に乗り込み、風速12メートルの風に乗って空中へと飛び立ちました。12馬力のエンジンを載せた飛行機は、12秒間の飛行を経て、30メートル先に着地しました。兄弟は交替しながら、計4回の飛行を行い、最長飛行時間は59秒、最長飛行距離は260メートルを記録しました。

なぜ、ライト兄弟は空を飛ぶことができたのか

知識豊富で資金も潤沢な科学者たちを追い抜いて、二人が世界初の飛行を達成した勝因はどこにあったのでしょう?それは、この兄弟が、コラボレーションの力を大いに活用していたからでした。二人は絶えず会話を交わし、発見やアイデアを伝え合い、共有していました。

「オービルとは幼い頃から一緒に暮らし、一緒に遊び、一緒に働き、そして、事実上一緒に考えていた。玩具も共用だったし、自分たちの考えや夢を語り合っていた。私たちがこれまでやってきたことは、ほぼすべて二人が交わす会話、提案、議論から出た結果だった。」とウィルバーは説明しています。

二人は飛行機制作において、克明な日記をつけていました。その内容によると、彼らは一瞬の大きなひらめきは経験していません。二人のコラボレーションの結果、個々のひらめきが次のひらめきに火を点け、一連のアイデアが生み出されていたのです。

良いアイデアはグループに宿る

科学者が創造性について注目しはじめたのは1950年代で、個々の創造的な人物に焦点を当てていました。その流れが変わったのが1990年代初頭で、それまで一人の天才によって成し遂げられたと思われていた、各種のイノベーションや歴史的発明・発見が、実際にはコラボレーションから生まれたことがわかってきたのです。

コラボレーションは創造力を羽ばたかせます。各々がコラボレーションという形で手を結び合えば、優れたアイデアにつながります。集団のひらめきは個人のひらめきよりも速く成長し、大きな成果を生むのです。

しかし、ここで注意すべきことがあります。それは、グループの構成員です。メンバーの性質が似通い過ぎていたり、親しくなり過ぎたりした場合、相互の影響がさほど刺激的でなくなり、コラボレーションの効果が得られないこともあり得ます。では、コラボレーションの効能を最大限引き出したいときには、どうすれば良いのでしょうか。それは、多様性を持ち込むことです。

多様性こそがイノベーションの源

複雑な問題の解決に当たるとき、多様な技能や知識、構想を持った人々で構成されたグループのほうが、より力を発揮することがわかっています。ある調査によると、最新の金融商品やサービスを提供している最も革新的な銀行では、専門分野が様々な幅広い人材によるチームを編成していました。

多様性のあるチームが創造的なのは、多彩な意見が摩擦を生み、それが原動力となって独創性が高まるからです。未来学者のポール・サフォーは次のように語っています。「一つの分野でリードしたところで、本質的な変革を起こすことはできない。変革は、異なる分野間で生じる相互の衝撃が引き金となって起こるものだ。」個人の力を合わせることで、一人では持ち得ないほど多くの概念や知識を集結させることができる、それが「グループ・ジーニアス」の醍醐味と言えるでしょう。

多様な意見を持つ者同士の摩擦や衝突は、ときに険悪なムードを生み、創造性を妨げてしまうかもしれません。そのような状況を作らないため、つまり衝突を生産的な方向に導くためには、グループのメンバーが一定の知識を共有し、他者の発言にじっくりと耳を傾けて、自由闊達なコミュニケーションをとれる環境を作ることが大切です。そうすればきっと、グループの中からひらめきが生まれ、素晴らしいアイデアにつながっていくに違いありません。

参考文献:『凡才の集団は孤高の天才に勝る』(キース・ソーヤー / ダイヤモンド社)

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