セレンディピティの賜物

セレンディピティ(serendipity)という、含蓄に富んだ言葉があります。偶然の出来事から大切なことや本質的なことを学びとること、あるいはその能力を指す言葉です。ほんの僅かな痕跡を見逃さなかったことが、歴史に残る大発見や発明に結びついた例は、自然科学の世界に数多く見られます。

先日、京都大学の山中教授がノーベル賞を受賞されました。iPS細胞の研究において、彼が並外れた忍耐力と行動力、そして観察力で、ついに細胞の「初期化」に関わる遺伝子を発見したことも、まさに偶然と必然が織りなすセレンディピティの賜物であったと言えるでしょう。

誰しも、非常に困難なことや途方もない問題にぶつかると、「あきらめてしまおうか」という弱い気持ちが心に浮かびます。けれども、そこで逃げ出さず、大きな想い、願望を胸に秘めて、その難しい課題の解決に邁進すると思いもよらないところから大きな成果が飛び込んでくるのです。

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2012年10月8日ノーベル賞委員会は、ノーベル賞の「医学・生理学賞」を京都大学教授の山中伸弥博士に贈ることを発表しました。「成熟した細胞を、多能性をもつように初期化できることを発見したこと」が授賞の理由です。山中教授のこの発見は「再生医療」の切り札になると考えられ、世界中から大きな期待を寄せられています。

iPS細胞が画期的な理由

「再生医療」とは、自然には治らない組織や臓器を再生し、機能回復させることを目指す医療です。この分野の発展を願い、心待ちにしている人はたくさんいますが、一度失われた機能を取り戻すことは容易ではありません。

以前から行われている臓器移植では、移植可能な臓器の数が、必要とされる数に比べ圧倒的に不足しているのが現状です。また、拒絶反応の問題も大きな課題として残されています。人工臓器の開発も、性能や大きさ、費用などの面で、まだまだ患者の要求に追いついていません。

山中教授が作製に成功した「iPS細胞」は、従来の医療が抱えるこれらの問題を一挙解決できる可能性を秘めているのです。 iPS細胞は、大人の体の一部(たとえば皮膚)から取り出した細胞に、4つの遺伝子を与えてつくられます。この細胞は体中のほぼ全種類の細胞になれる能力(=多能性)をもっていて、ほぼ無限に増殖させることができます。

つまり、病気の治療に必要な細胞を、必要な種類と必要な量だけ、iPS細胞からつくり出すことができます。しかも、もとになるiPS細胞を、患者本人の細胞からつくれば、拒絶反応の心配もありません。

研究の出発点

山中教授は中学時代から大学まで、柔道部やラグビー部に所属してスポーツを続けていました。その間、足や顔などの骨折を計10回以上経験したといいます。そんな彼が、神戸大医学部を卒業後に働き始めたのは、整形外科でした。けれども、「手術がものすごい下手でありまして。自分でもこれは使い物にならないな、と。」と本人が語るように、医師の道を断念。研究者への転身を決意します。

大阪市立大大学院で薬理学を学んだのち、米グラッドストーン研究所へ留学。無名ながら、「患者を救う研究者になりたい」という熱意を評価されてのことでした。熱心に課題と向き合う氏の姿勢は、ノーベル賞受賞の知らせが来たとき、洗濯機の修理に取り組んでいたというエピソードからもうかがえます。

最初に志したのは、iPS細胞とは全く無閥係の、脂質代謝の研究でした。そのための遺伝子研究がきっかけで、がんを研究。マウスを使って実験する中で、予想しなかったがんの原因を調べているうちに、幹細胞の研究に進みます。そしてその成果が、のちにiPS細胞の研究につながったのです。

サンフランシスコ市にある、このグラッドストーン研究所は、心臓血管疾患やアルツハイマー病などの研究に強く、研究費の多くを個人や民間企業からの寄付や支援に頼る独立機構です。ノーベル賞級の研究者が、自由な雰囲気の中で研究を進めています。

研究所の創設者ロバート・マーレー名誉所長は、山中氏に「ビジョン・アンド・ハードワーク」の精神を教えた恩師。努力だけでビジョンがないのも、ビジョンだけで努力しないのもダメ。山中氏の不屈の精神はここで磨き上げられます。同研究所の記者会見に、テレビ電話で参加した山中教授は、「この研究所がなければ、今回の受賞はない」と、感謝を述べました。

ES細胞からiPS細胞へ

1998年につくられたヒトの「ES細胞(Embryonic stem cells/胚性幹細胞)」は、多能性をもち、ほぼ無限に増殖できるとして、再生医療への応用が注目されました。しかし、ヒトの受精卵からつくられるES細胞には、拒絶反応の問題もあり、何より生命倫理上の課題が大きな壁として立ちはだかっていたのです。

多能性幹細胞、いわゆる万能細胞への期待が高まる中で、山中博士は、受精卵や卵子を使わずに、体の細胞から万能細胞をつくりたいと考え、研究に取りかかります。2006年、世界で初めて、体の細胞を万能細胞へと変化させる快挙をマウスの皮膚細胞で達成すると、さらに2007年には、ヒトの体の細胞での実験にも成功しました。

ヒントはES細胞にありました。ES細胞が「万能」なのは、ES細胞の中に特別なタンパク質が存在し、細胞のあり方に影響を及ぼしているからだと考えられます。そのタンパク質を作用させれば、体の細胞もES細胞と似た万能細胞に変化するかもしれません。

博士はES細胞で特別に強くはたらいている遺伝子を探し出し、4つの遺伝子を組み込むことで、マウスの皮膚細胞から万能細胞を直接つくり出しました。そしてこの細胞をiPS細胞(人工多能性幹細胞)と名づけたのです。

細胞の「初期化」

ヒトの一生は受精卵に始まります。卵子と精子が合体したひとつの細胞である受精卵は「全能性」(=個体になれる能力)をもっています。分裂を重ねるにつれ、それぞれの細胞が徐々に専門性をもつようになる一方、全能性は失われていきます。数日後には全能性を失った多数の細胞の集合となり、18年経過する頃には、200数十種類の細胞およそ60兆個でできた大人となります。

専門性をもった大人の細胞を、万能細胞に変化させることは、細胞を「初期化」する、つまり多能性をもった状態にすることを意味します。iPS細胞をつくるにあたり最も重要なのは、細胞を「初期化」する遺伝子を見つけることでした。

現在では、ヒトの遺伝子は約2万2000個とわかっていますが、当時は10万個ほどあるといわれていました。その中の、一体どの遺伝子が「初期化」に必要なタンパク質をつくっているのでしょう?

「突き止めるべき遺伝子は、1個なのか、10個なのか、それとも100個なのか。当初はそれすらわかりませんでした」。山中氏は、当時をこう振り返っています。

「ヤマナカファクター」の発見

博士は、理化学研究所のデータベースを利用し、候補の遺伝子を約100種類選び出しました。そして、その中から特に有望そうだと考えられた、24種の遺伝子に注目することにしました。

実験を担当していた高橋さんは、はじめに、24種類の遺伝子をひとつずつ、マウスの体細胞に送り込んでみましたが、どれも成功しませんでした。偶然、実験に使う細胞を24個より多く用意していたので、余らせるのももったいないと思い、どうせなら、と24種すべてを送り込んだところ、なんと初期化が起こったのです。

そこで、24種類から1種類ずつ取り除いて検証していき、ついに、細胞の初期化を引き起こす4つの遺伝子「ヤマナカファクター」にたどりつきます。夢の万能細胞の作製は、こうして実現したのでした。

参考文献: 「 Newton 2012 / 12号 」

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