失敗を恐れない組織文化

「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。」とはホンダ創業者・本田宗一郎氏の言葉です。人は安全な状況や安心感を求めて現状維持に陥りがちですが、もし企業が、チャレンジをして失敗した場合に大きな責任を取らせるような組織風土であったならば、社員はそれを恐れて何もしなくなるでしょう。

大概の人が失敗を嫌がりますが、いろいろな失敗を繰り返し、その教訓を蓄積しているからこそ得られる知恵やひらめきもあります。エジソンが電球の発明に成功したとき、1000回失敗した気持ちを尋ねられた彼は「1000度の失敗をしたわけではない、1000のステップを経て電球が発明されたのだ」と答えました。

チャレンジしない組織は、やがて衰退していきます。反対に、たとえ失敗しても、その失敗から何かを学ぶことのできる組織は、大きな発展を遂げる可能性を秘めています。

◆◇◆◇◆      ◆◇◆◇◆      ◆◇◆◇◆

「やってみなはれ」とは、サントリーのチャレンジ精神・ベンチャー精神を象徴する言葉です。何か新しいことに挑戦するとき、計画に長い時間をかけるよりも、まず実行してみることを優先する。それが、「やってみなはれ」の精神です。

このキーワードは、もともとは創業者の鳥井信治郎が、息子の佐治敬三に対して、行動することの重要性を説くために使った言葉だと言われています。「机上の理論を繰り返しても、物事は進まない。ともかく実行を第一にしてその中でいろいろ学びながら、次のアクションを考えていく」というのが、鳥井氏の教えでした。当初は抵抗を感じていた佐治氏でしたが、父と接しているうち、その信念を理解するようになりました。

佐治氏によると、上司が部下に向かって「やってみなはれ」と言うだけでは不十分で、失敗した場合の責任はトップが負うことをはっきり示しておくことが重要だといいます。ただ「やってみなはれ」と繰り返しても、後で責任を取らされるなら、社員は果敢に挑戦する気にはなれません。

彼は、失敗しても責任を問わないことを社員に示して安心させ、管理職には「やらせてみなはれ」と説いてまわりました。「何もしないこと」には厳しく、失敗にめげず「俺にやらせろ」と叫び続ける社員こそが、評価されるようにしたのです。

「失敗は成功の母」と言われます。企業全体を考えれば、失敗を分析して、組織の知識として共有できるのが望ましいでしょう。にも関わらず、失敗の情報が社内に伝達されることなく隠されてしまうのは、個人への責任追及を恐れるからです。

一方、サントリーでは、失敗は恥じることではないという相互理解、そして責任を問われない安心感があるため、失敗も含めて、知識や経験を組織全体で共有・蓄積することができるのです。

失敗から生まれた「伊右衛門」

2004年3月の発売以降、大ヒット商品になった緑茶飲料といえば「伊右衛門」ですが、そこに辿り着くまでには、長い道のりがありました。 サントリーは「しみじみ緑茶」「緑水」「和茶」「中国緑茶」など、今まで多くの緑茶飲料を世に送り出してきました。しかし、どのブランドも定番製品になれず消えていきました。2001年に発売した「熟茶」も、1年で生産中止に追い込まれています。

そこで、茶飲料チームでは「熟茶」が失敗した原因を徹底的に分析しました。さらに、その結果を社内で発表までしています。度重なる失敗に関わらず、そんな発表ができたのも「やってみなはれ」の組織文化が広く深く浸透していたおかげでしょう。

分析の結果、問題の核心はマーケティング、特に市場調査とその分析にあることがみえてきました。もちろん、消費者に関する膨大な量的データは収集していたのですが、実は、その裏にある消費者の潜在意識までは引き出せていなかったのです。

そのため、表層的なニーズに固執してしまい、そもそもコンセプトの段階から、消費者のニーズを満たせていなかった可能性が高い、と気付いたのでした。

その反省から、「伊右衛門」の開発にあたっては、消費者の潜在意識を複数の手法を駆使して調べていくことにしました。主なターゲットである中年男性に対し、緑茶という切り口だけでなく、調査の範囲をもっと広げて、彼らの生活全般や心理までも理解しようとしました。

飲み物に関しては、緑茶に限らず、その日一日に飲んだものと時間を詳細に調べました。面白かったのが「落ち込んだとき、近くにいて欲しい人は誰か」という質問でした。建前で答える欄と本音の欄、ふたつの回答欄を用意してみました。

アンケート結果は、建前の欄には「妻」が、本音の欄には「飲み屋のママ」といった文字が並ぶだろうという予想を裏切って、本音でも「妻」という回答が多く見られました。

それも、年齢が高くなるほど、その傾向が強かったそうです。この発見は、「伊右衛門」のテレビCMで大いに活かされることとなりました。仕事熱心で寡黙な夫と、その仕事を理解し、穏やかに見守る妻。本木雅弘と宮沢りえが扮する、少ない会話でも意思が通じ合う夫婦は、この調査結果からイメージされたものです。

総力を結集して

「熟茶」以前の経験を活かしたのは、製品コンセプトだけではありません。広告宣伝や流通対応にも、今までの様々な学びを反映させました。 緑茶飲料は、春から初夏にかけての売れ行きで、定番製品になれるかどうか決まってしまいます。

したがって、3月頃から販促活動をしていくことになります。「熟茶」も「伊右衛門」と同様、3月に販売を開始したのですが、販促方法に季節感がなかった、という反省がありました。

そこで「伊右衛門」のときには、製品企画の早い段階から全国の営業担当者を議論に巻き込み、販売の工夫をさせました。また、発売日の3月16日より前にテレビCMを流し、コンビニエンス・ストアの店員に早めに製品を認知してもらいました。おかげで、コンビニの飲料棚の中で良い場所を確保することに成功しました。

もちろん、技術・製造面でも、これまでの蓄積が無駄なく活用されています。「緑水」開発の際に獲得した、苦みと渋みをコントロールする技術。「熟茶」で生まれた、容器に充填する温度を常温(30℃)に保つ無菌充填技術。大ヒット商品「伊右衛門」は、サントリーがそれまで積み重ねてきた、知識と技術、そして経験の結晶だったのです。

「やってみなはれ」の深化

「やってみなはれ」の深化 近年、企業研修において、他社の成功事例や失敗事例を題材にして学習する「ケース・メソッド」がよく利用されています。サントリーの場合、創業時から「やってみなはれ」の精神が根付いているので、外に教材を求めるまでもなく、普段から自然と学習が行われているのが強みでしょう。

長い歴史を持つ同社には、過去に様々な経験があり、それらが脈々と蓄積・伝達されています。製品開発の担当者は、市場環境を分析して、蓄積されたいくつものパターンの中から、参考になるものを引き出すことができます。そこにカテゴリーの垣根はなく、ウィスキーやコーヒーでの経験が、緑茶の開発に活かされることもあるのです。

「『やってみなはれ』は、リスクがあっても果敢に市場開拓に挑む文化である。しかし、最近はいい加減に使われているような気がする」、そのため「組織に揺らぎを与え『やってみなはれ』を鍛えなおす」と佐治社長は述べています。挑戦することは重要です。そして、その挑戦は組織にとって、将来の利益に繋がるものでなければならないでしょう。

もしかすると「やってみなはれ」という言葉は、「やってみる」という単独のプロセスではなく、「やって」「見る」というふたつのプロセスを示しているのかもしれません。市場の声は、「やって」みてはじめてわかります。そこで最も大切なことは、その結果を「見る」こと、そしてそれを次に活かすことなのです。

参考文献: 『マーケティング優良企業の条件』(嶋口充輝 他3名 共著/日本経済新聞出版社)

 ◆ エッセーの目次へ戻る ◆ 
 ◆ トップページへ戻る ◆