利他的行動

およそ900万年前、アフリカ大陸の東部で大地溝帯の活動が始まり、高地や山脈を含む隆起帯が形成されました。大西洋側から湿った空気を運んでいた赤道西風がさえぎられたことで、大地溝帯の東側は徐々に乾燥していき、森林が衰退、やがてサバンナ(草原)に変わりました。

それまで森林に住んでいた類人猿は、樹上から地上に降り、直立二足歩行を始めました。そして、食料を求めて、狩猟採集生活を送り始めたのです。 草原で肉食獣に見つかれば、格好の餌食となります。そこで彼らは、集団をつくって、捕食者に対抗するようになりました。その中で、仲間とつながり、分かち合うことが生き延びることなのだと自覚していきました。

また、仲間との絆の大切さを知り、お互いに助け合うことを喜びとして進化を続けました。こうして彼らは、「利他的行動」を取る生き物として生きていくことを選んだのです。 現代でも、利他的に行動ができる人は、他の人の知恵を借りて困難な仕事を成し遂げたとき、協力してくれた人の成果だと誇りとします。

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「人間らしさ」を解く

私たち「ヒト」の祖先であるホモ・サピエンスは、今から25〜40万年前アフリカで誕生しました。そこから他の地域に移動し、拡散していったのはここ5万年くらいのことと言われています。彼らと他の生き物との違いは、一体どのようなものだったのでしょうか?

その謎を解く鍵は、南アフリカの喜望峰から東へ300キロメートルの場所にある、ブロンボス洞窟にありました。この洞窟からは、1センチほどの貝殻が規則正しく並んだ装飾品が見つかっています。これは人類最古の首飾りとされ、人類がその当時すでにおしゃれにいそしんでいたことがわかります。

しかし、こうした装飾品は、単に自分を飾るためだけのものではありませんでした。それを作っていた人々にとって、首飾りは、特別な想いをたくしたシンボルだったと考えられるのです。

首飾りは「絆」のしるし

首飾りは「絆」のしるし 現代にも、遠い祖先とよく似た暮らしを続けている人々がいます。アフリカ南部のカラハリ砂漠に住む、サンという部族です。彼らは山ほどの首飾りをつけています。 3世代・約20人の大家族で暮らしているサンの人々にとって、首飾り作りはとても重要です。けれども、それは、自分でつけるためではありません。家族に贈るために、首飾りを作るのです。

娘や義理の娘から首飾りをもらって身につけます。つまり、首飾りの多さは仲間の多さを表しています。首飾りをたくさんしていることは、その人物がいつでも助けてもらえることを意味しています。

生後3ヶ月を過ぎると、赤ちゃんは初めての首飾りをもらうのだそうです。彼らにとって、首飾りを贈るという行為は「共に生きていこう」という意思表示であり、お互いの「絆」のしるしなのです。 同じ化粧でグループの仲間意志を確認し、首飾りのプレゼントで信頼関係を強くする。大昔の人類も、サンの人々同様、仲間と協力する心を大切にして生きていたのでしょう。

アフリカのような乾燥した大地では、食べ物を見つけるのも容易ではありません。いつも同じ場所にあるとは限らない木の実や芋を、仲間で手分けして探します。祖先たちは何万年もこうした暮らしをしてきました。協力し合い、分け合うことで、人間は生きてきたのです。

笑顔はコミュニケーションの糧

イラク戦争の際、和平交渉を進めるため、アメリカの部隊が地元の宗教指導者を訪ねたところ、捕まえに来たと誤解され、地元住民に取り囲まれました。言葉の通じない中、司令官の指示でアメリカ部隊が笑顔を見せると、敵意のないことが伝わり空気が一変、地元住民はおとなしくなりました。

このように、争いの中でも、人は笑顔に反応します。実は、人間には生まれつき「人の顔」に反応する仕組みが備わっているのです。野菜の入っている籠の絵で、ひっくり返すと人の顔に見える絵を赤ちゃんに見せる実験では、顔に見えるときの方が、脳は活発に反応するという結果が出ました。

視力を失ったのに、人の表情だけは読み取れる「ブラインドサイト」という現象もあります。脳卒中で視覚野を損傷し、四角や丸などの記号を見せてもわからない人が、なぜか表情だけはわかるケースがあるのです。

そこで脳の活動を調べてみると、視覚野ではなく「扁桃体」が活発に動いていることがわかりました。扁桃体は動物の場合、危険などの命に関わる情報を処理する部位です。人間は視覚野だけでなく、扁桃体でも人の表情を判断しています。

人は誰でも、無意識に相手の表情を分析して、心を推察しているものです。人類は、その歴史の始まりから、仲間との協力が必要不可欠であったために相手の内にある感情を読み解く能力を身につけたのだと考えられています。これは集団で生きていく仕組みであり、ひいては人間を人間たらしめている能力だと言うことができます。

危機を乗り越えた人々

絶滅してしまうほどの危機を、私たちの祖先が経験したという説があります。およそ7万4千年前、人類が世界へ広がる前の話です。遺伝子の調査から、アフリカの人口は2万人に激減したことがわかっています。

その発端は、インドネシアのスマトラ島で起きた、トバ火山の噴火でした。長さ100キロ・幅30キロに及ぶ、過去10万年間で最大の超巨大噴火で、火山噴出物は10日間で地球を一周、日光が遮られて地球全体の平均気温が2年で12℃も低下しました。

赤道付近に広く分布していた広葉常緑樹は、噴火後はアフリカ東海岸の赤道以南だけになりました。植物が消えると、それを食べていた動物も姿を消し、食べ物がなくなりました。寒さに対応することも、暖かい場所に移動することもできず、ほとんどが死に絶えました。そのときに生き残った、一握りの人間が我々の祖先なのです。

生き残ることができたのは、どういう人々だったのでしょう。考古学的調査によると、トバ火山の噴火後、血縁関係を超えた協力が人々の間に生まれ、それが生死を分けたと見られています。

根拠は、遺跡で見つかった黒曜石です。黒曜石は切れ味が鋭いため、刃物に適しています。また、友好関係を示す贈り物としても使われました。成分を分析すると、その黒曜石の産地がわかります。よって、同じ産地の黒曜石を使っていたグループは、互いに交流があったと考えることができます。

ソナチの黒曜石が使われた範囲を調べると、火山の噴火前には10キロほど離れた場所で使われていたのが、噴火後では70キロ離れた遺跡からも見つかり、交流が増えたことがわかります。

遠くの友人のところに食料があれば滞在させてもらい、向こうになくなればこちらへ招く。2年以上続いた深刻な飢餓の時代、争ったり独占したりするのではなく、助け合い、分かち合った人々こそが生き残り、やがて各地に散っていったのです。

人間は協力する生き物である

お金を用いた興味深い実験が、世界の15箇所で行われました。その内容は、誰にも見られない環境で、10ドルを自分と見知らぬ相手とで分けるもので、配分は自由に決められます。自分で全部取ってもいいし、全部あげてもいい。

伝統的な生活をしている地域、農村、漁村、都市部など、様々な場所で実施したところ、見ず知らずの人にも関わらず、相手に分け与えない地域はありませんでした。アメリカでは自分53%・相手47%、日本では自分56%・相手44%で、少なくとも20%は相手に渡すことがわかりました。

アフリカで誕生した人類は、その壮大な歴史の中で、幾多の苦難を乗り越え、内面的な人間らしさを獲得し、進化させてきました。そんな太古のDNAを受け継ぐ私たちもやはり、周囲の人々と繋がりを持ちながら暮らしています。

困難に遭遇したときには、他の人の協力を得てそれを克服し、乗り越える。仲間が困っているときには、支援する。そうすることで少しずつ、世の中に役立つ人として成長していくのです。

参考文献:「NHKスペシャル なぜ人間になれたか」( 2012/01/22 放映 )

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