人は変われる

人は困難にぶつかったとき、もうこれ以上、無理だと諦めてしまい、自分で自分の可能性を狭めてしまことがあります。  うまくいかない、原因を国や他人に転化することは簡単ですが、それでは他人任せの人生になってしまいます。事がうまくいかないとき、自分を卑下したくなるときがあります。

しかし、過去と他人は変えられませんが、自分と未来はかえる努力が必要です。 今日から明日へと、日々の成長により、なりたい自分を強く思い、イメージ化し、毎日の行動を変えていくべきです。

人間の能力は無限です。気づいて、実践した人だけに道が開けるのです。自信とは自分の能力や価値を認めること自分のできることを認めることです。自信が積み重なると確信に繋がります。

◆◇◆◇◆      ◆◇◆◇◆      ◆◇◆◇◆

求められる「新しい解釈」

私たちは30歳ごろになるまでに、大人の世界と自分についての解釈を獲得し、安定した人生を送れるようになる。しかし、40歳、50歳になったとき、その解釈は少々古くなりはじめている。

この年代になったとき、私たちは自分の人生が後半に入ったことを自覚するようになる。それは、体力の衰えや視力の低下といった身体の変化のためだけではない。大きな変化は、私たちの人生の時間に対する感覚が変わってくることである。

40歳ごろまでは自分の人生の時間は無限にあると思っていたが、後半を自覚したとき、自分の時間が死という事実で終わることに気づく。この単純な事実を自覚したとき、私たちの心は死を見つめはじめる。

心が死を見つめはじめたとき、心は自然に、その事実を正確に理解し、解釈しようと動きはじめる。 しかし、それまで培ってきた古い解釈、つまり「大人の解釈」では、死は理解できない。なぜなら、古い解釈は、若かった私たちがこの社会に適応していくためにつくり上げてきた「大人になるための解釈」であるからだ。 それは、社会の中で生きるための解釈であり、毎日をより効率的に過ごすための解釈であった。

人生後半の解釈

そこには、社会がいつまで続くことや、自分がいつまで存在するかといったことは前提となってはいなかった。そこでは、死は避けるべきものとしてだけ解釈された。私たちは「大人の解釈」をつくり上げ、社会への適応をまがりなりにも果たして安定していた。 いま持っている解釈でも、とりあえずは事足りている。そのままでも、毎日を送るのに困りはしない。

しかし、死という事実を含んだ人生の後半を真剣に考えようとするとき、とりあえずの毎日の生活だけに満足して、その先の自分の人生を考えないわけにはいかないであろう。たとえ死を正面から考えようとしなくとも、この生活の先には確実な死があると思うならば、いつのまにかその思いは、私たちの毎日の生き方に影響を与えているはずである。

たとえば、「大人の解釈」による人生の見方であるが、この社会に適応し、その中で生きていくことを第一の価値と考え、その先には避けるべき死がある、と人生を解釈した場合、私たちは後半の人生をどう受けとめるであろうか。

社会への適応とその中で生きることが第一の価値であり、人生の最後にはその第一の価値を破壊してしまう死があるならば、私たちの後半の人生はピークを過ぎた下り坂と解釈されてしまうであろう。

私たち大人はこれまでに社会への適応を遂げ、毎日を生きるすべを獲得したのであるから、私たちは、第一の価値を達成したことになる。であれば、私たちにはもう人生の目標と呼べるものはなくなってしまう。

あとは、毎日の生活を維持するだけである。永遠にその生活が維持できればいいが、しかし、その生活の先には死があり、維持しようとする生活はそこで強制的に終わらされてしまう。

このようにして、「大人の解釈」によれば、人生の後半は完成の後の崩壊、目標達成のあとの下り坂となる。死を意識しようがしまいが、これが毎日の私たちの生活に忍び寄る人生後半の解釈である。

まだ、若い者には負けない、という言葉を口にしたとき、それは自分が若者と同じ価値基準の上で生きていることを認めていると同時に、自分が下り坂にいることを白状しているのである。 これに気づいたとき、私たちは「大人の解釈」をいつまでも使いつづけることを潔しとしないであろう。

ある老人たちへの実験

ハーバード大学心理学部のエレン・ランガー教授は老化に関しておもしろい実験を行なった。ボストンのある病院で3週間80歳以上の老人を集めて共同生活させた。 約30年前のエルヴィス・プレスリーの音楽をかけカストロやフルシチョフのニュースを流し、当時の「ライフ」や「タイム」誌を置き、1950年代のファッションをつくりだした環境の中で昔のように話し、振る舞うように指示された。

実際の年齢(.これを暦年齢という)と、身体の年齢(生物学的年齢と呼ばれる)を比較する方法として、800ヘルツといった高音域の聴覚の感度を計ったり、DHEAといったステロイドホルモンの血中濃度の減少度などを計った。

3週間後に老人たちのホルモンなどのさまざまの生理学的指標を調べたところ、不思議なことに、この短い間に100以上の指標で老人たちは数歳も若返っていた。 しかし、老人たちは3週間の実験を終えて日常生活に戻った後は、指標はやはり、数週間でまた元の状態に戻っていたという。この実験の結果は、さまざまに解釈が可能である。

自分が若いと思い込めば身体はそれにある程度反応し、逆に自分が衰えていくと思い込めば、老化も加速されるということかもしれない。 つまり、人生後半の解釈いかんでは、身体の老化の速度が緩慢になると示唆している。 たとえば、ランガー教授の老人たちのようにおとぎの世界をつくり上げ、いつまでも醒めない暗示をかけてもらうことが可能であろうか。

また逆に、元気に働いていた人が、定年になって現場から退いたとたんにめっきり歳をとって体力を失ってしまったといった話を聞くこともある。 しかし、知性を発達させた私たちは、おとぎの世界や、思い込みや暗示はいずれは醒める夢であることを知っている。 私たちが求めているのはそんなことではなくて、自分の人生と世界を確実に変えていく新しい解釈なのである。

人生への「自信と確信」

心理学者のアブラハム・マスローは、長寿で健康に生きている人々がすでにいるという事実に興味を持ち、研究に専心した。 研究した自己実現者たちはなにも完壁な人間ではなく、大きな欠点もあったとしている。特に優れた才能に恵まれていたわけでもない。

研究によれば、少数ではあるが平均的な大人とは異なる入生を歩み、他者よりも精神的にも身体的にも健康に生き、一般の人々と比較して人生に対してある共通した考えを持っていたという。

それは、人生は自分のものであり、自分はこの人生で何かを創りつつあるという、自分の人生に対する「自信と確信」である。この自信と確信に支えられて、彼らは自分の才能や、潜在力を大いに開花させ、その結果、自己を実現し人生を楽しんだのである。

参考文献:『人は変われる』 ( 高橋和巳 著/ちくま文庫)

 ◆ エッセーの目次へ戻る ◆ 
 ◆ トップページへ戻る ◆