リーダー力を鍛える

さて、組織のトップは難しい課題を成し遂げる際、リーダーシップを発揮しなければなりません。 ドラッカーは、リーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、優先順位を決め、目標と基準を定め、それを維持することであると。

  現代に名を残した経営者も、生まれ育った環境、人との関わり、失敗や成功など、多くの経験を積み、研鑽して身につけ、リーダーシップを発揮してきました。 管理職の時代から、チーム内における自分の責任を明確にし、的確な判断を得るために指示を仰ぎ、他のメンバーと協力して、結果を作り上げて行きます。

そこで、自分がチームや組織のトップに立ったとき、メンバーの業務を調整し、個々の能力を最大限に発揮させるようになります。 このような経験の一つ一つが「リーダーシップ」を身につける糧となります。

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リーダーの不可欠な資質

リーダーはさまざまな局面で論理的な思考力、合理的な判断力を求められる。 そのため、少なくとも20〜30代のうちは、合理的、論理的に考える訓練を積み重ねておかなければならない。

たとえば、新聞の解説記事を読んで、論理的に筋が通っているのかどうか、自分なりに考えてみる。「なるほどそうだ」と思っても、あえて反対の立場で立論してみる。また、企業の業績悪化、M&Aの破談などなにがしか出来事が起こったら、それがどんな影響や波及効果をもたらすのか、論理的に推論してみる。

誰もが知っている演繹法、帰納法、弁証法といった古典的な思考法も含めて、意識して使ってみることが論理力の基礎訓練になる。

ただし、もう一方で認識しておくべきは、世の中には論理で片がつかない問題もあるということ。 人間性の本質や価値観に関わる問題だったりするので、こうした問いかけにどう対峙するかは、深遠で難しい。

例として、自動車について考えてみよう。20世紀初頭に自動車が大量生産されるようになってから、これまで自動車事故で亡くなった人数は、自然災害の比ではないはずだ。 「5人を助けるためにひとりを見殺しにするのは正義か」「おカネで買えないものは何か」といった問いに、数学的な思考では解は存在しない。

判断の手前で重大な問題を見逃している危険性があるにもかかわらず、情緒的直感に頼るようになってしまう恐れがある。 冨山氏(経営共創基盤:CEO)は多くの企業再生の現場に立ち会ってきた。彼曰く、会社がぶれるとき多くの場合、経営者は判断を情緒的直感に委ねている。

 論理的判断のストレスに耐え抜いて、早めに手を打っていればキズは浅かった、という例はいくつもある。一時的には楽かもしれないが、情緒的直感で会社を本当に倒産させてしまい、後々非常に大変なことになった。

おそらく、カネボウやJALも、会社が破綻に至る過程では情緒的直感に身を委ねていたのだと思う。理性的で頭のいい人たちが、なぜそうなってしまうのか。最後まで論理に徹する訓練が、できていなかったのではないだろうか。危機が近づいているときこそ、冷徹な事実と論理に基づいて判断し行動する能力が問われるのであると。

リアリズムの徹底追求

冷徹な事実や、人間性の現実を理解すること。合理的思考の前提条件である。裏返して言えば、現実問題に対処しなければならないマネジメントの世界では、合理的思考を突き詰めることは、結局リアリズムを突き詰めることにつながる。経営の世界はリアルな世界である。人とカネをめぐる生々しいせめぎ合いである。

それを、人間を幸福にするツールとして機能させるには、リーダーがリアリズムと合理主義に徹することが、絶対的に必要条件である。繰り返すが、リアリズムと合理主義に立脚しない理想主義や情緒主義によって多くの人間が殺されてきたのが、人類史のリアルなのだ。

ある医薬品メーカーで、社員を集めて退職金のパッケージとして"あなたは5000万円だから会社に残るより辞めたほうが得"などと提案書を配った。社員から猛反発を食らい頓挫した、というケースがあった。多分、経営者にしてみれば、おそらく、情念や情理の問題と自分が一対一で対峙するのが嫌だったのだろう。

情理や合理から逃げては、今どきのリーダーは務まらない。この狭間で悩む訓練を若いときからやっておかないと、トップリーダーになってから突然身につくものではない。いきなり対峙する情理と合理の軋礫の巨大さ、溝の大きさと深さに圧倒され、そのストレスに押しつぶされてしまう。

課長レペルのミドルリーダーの時代から、この狭間にどんどんはまり込み、自分なりの克服法を見出していくしかない。 各人各様、自分のマネジメントスタイルやストレスとの付き合い方を構築していくしかない。とにかく逃げないことだ。

サンクコスト(埋没費用):回収できないコスト

ある創業者M氏は、子会社Aを設立して新規事業を始め、累計で10億円のコストを費やしたとする。ところが、複数のライバル企業が同じ事業分野に参入してきたために子会社Aは赤字続きで、今後も黒字化の見込みがない。10億円をサンクコストと割り切って、子会社Aを売却または清算して新規事業から撤退するか、それともこれまで投じた10億円にこだわって事業を続けるか。

金額だけの話なら意外と理屈で割り切れるものだが、子会社Aを設立したM氏に、部下は「すぐに撤退すべきですと直言できるだろうか。あるいは、M氏自身が始めた事業から撤退する判断を、自ら下せるだろうか。

ここで情緒的直感が介在する余地が生まれてしまう。サンクコストに引きずられて情緒的判断に傾き、事業撤退できずに傷口を広げる企業が多いのが実態である。 また、ある会社が赤字続きのテレビ事業からなかなか撤退できずにいるとする。それは、もちろんサンクコストの問題もあるのだけれど、サンクタイムの問題のほうが心理的なハードルとしてより高い。

人間が抱えている宿命的な問題として、失った後で頑張ればカネは取り戻せるが、失われた時間は取り戻せない。だから、カネのサンクコストは比較的、割り切れるのだが、時間のサンクコスト、"サンクタイム"への執着はなかなか捨てきれない。

時間だけは、誰にも平等に過ぎてしまう。有限の命を生きるひとりの人間として、過ぎ去った時間をカネで買うことはできない。だから、自分が費やした時間、そこで流した汗や涙は簡単には割り切れない。

大局観で観る

実際に企業経営を行ううえで、最も難しい意思決定のひとつに、部分最適と全体最適の見極めがある。ある事業ユニット単位では最適なマネジメントを行っているように見えても、会社全体から見るとその事業ユニットがなんらかのボトルネックになっている。

そういうことがあり得る。 組織全体のトップからはユニットの実態が見えづらいし、ユニットの構成員には組織全体の景色が見えていない。

よく「鳥の目」と「虫の目」と言われるが、社長は鳥の目で会社を見ており、そこで現場は虫の目で仕事に取り組んでいる。 課長がアリとトンボの両方の視点を持つのにちょうどよいポジションだと言えるのは、組織の中での身軽さ、立場的にも社内外を動き回りやすく、さまざまな視点で物事を見ることが可能だからだ。

課長は、会社組織で言えば地を這うアリに近い立場。アリンコ軍団の隊長さんのようなものだが、有事のときはアリンコ軍団だけが生き残っても仕方がない。会社という船が沈めば、アリンコ軍団も海に放り出される。

アリの隊長という立場にありながらも、トンボの視点でも見渡し、その高い視点から、自分のアリチームをどう率いたらよいかを考えなければならない。また、アリの隊長の立場で、組織全体のために何ができるかを考える必要もある。

そして、トンボの視点を持ったときに、自分が率いている課を存続させることより、消滅させることのほうが全体最適につながるという判断もあり得る。

それができるようになるには、若いうちから自分がこの組織全体のトップだったら何をすべきか、という視点で考えるクセをつけなければならない。そして、社長になったときは現場から遠く離れてしまってアリの視点がなくなるわけだから、現場から正確な情報を吸い上げるルートを持っておくことが重要である。

参考文献:『結果を出すリーダーはみな非情である』 冨山 和彦 著/ダイヤモンド社

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